自分がにせものだと知っている生きものが、泣きながら昔の学校の話をする、という話です。
王妃が、アリスをある生きものに会わせようと言います。にせ海亀。にせ海亀スープの、材料になるものだ、と王妃は言います。
案内役として、グリフォンが呼ばれました。日なたで昼寝をしていた、鷲の頭と獅子の体を持つ獣です。
連れていかれた先の岩の上に、その生きものは座っていました。
亀の甲羅に、仔牛の頭。仔牛の蹄と、仔牛の尾。
にせ海亀スープというのは、当時のイギリスでよく食べられていた料理です。本物の海亀は高価なので、かわりに仔牛の頭を煮て、それらしい味に仕立てる。この生きものは、その代用品が、そのまま姿を持ったものです。
そして、深いため息をついて、泣いています。
アリスが、どうしてそんなに悲しいのか、と尋ねると、グリフォンが答えます。
あれは、そういう思いこみをしているだけだ。悲しいことなんて、何もありゃしない。
それでも、にせ海亀は泣きつづけます。
そして、涙をこらえながら、こう切り出すのです。
むかしは、わたしも本物の海亀だった。
本当かどうかは、誰にも分かりません。ただ、この生きものは、そう思っています。かつては本物で、いまはにせものだ、と。
そして、昔の学校の話になります。
海の底の学校です。先生は、年老いた海亀でした。ほんとうは陸亀なのですが、みんな先生と呼んでいました。
どうして陸亀を先生と呼ぶのですか、とアリスが訊くと、にせ海亀は腹を立てます。
そんな簡単なことも訊くなんて、と言われます。
その学校で習った科目を、にせ海亀は挙げていきます。
まず、いちばん基本のふたつ。
本来なら、読み書き(Reading and Writing)です。
それから、算術の四つ。
本来なら、足し算、引き算、掛け算、割り算(Addition, Subtraction, Multiplication, Division)です。
四つとも、音がすべっただけで、悪い言葉に変わっています。
さらに、歴史のかわりに謎の歴史。地理のかわりに、のたくり地理。図画のかわりに、ものうげな絵。
古典の先生は、老いた蟹で、教えていたのは笑いと悲しみ。ラテン語とギリシャ語(Laughing and Grief/Latin and Greek)のことです。
そして、授業の時間の話になります。
一日目は十時間、二日目は九時間、三日目は八時間、というふうに、一日ずつ減っていく。
変な決まりですね、とアリスが言うと、グリフォンが答えます。
アリスは、そこから計算します。
では、十一日目は休みになるはずです。そして、十二日目には──
ずいぶん妙な計算だ、とグリフォンが話を打ち切ります。
MEMO
この学校の科目名は、どれも、正しい語からほんの少しだけ音がずれています。作者は数学と論理学を教えていた人で、教室の言葉には、ひととおり付き合わされていたはずです。
この生きものは、ずっと過去の話しかしません。
むかしは本物だった。むかしは学校へ通っていた。むかしは海老と踊っていた。
そして、そのすべてを、泣きながら話します。
海老のダンスというのを、二人は実際に踊ってみせます。海老を相手に、砂浜で、順番に前へ出て、投げて、また戻る。
アリスは、たいそう妙な踊りだと思いながら、じっと見ています。
そのあいだ、にせ海亀は歌いつづけ、ときどき声を詰まらせます。
にせもの、というのは、ずいぶん重たい名前です。
この生きものは、それを名前として与えられています。にせ海亀。誰かが本物を作れなかったので、かわりに作られたもの。そう呼ばれて、そう扱われている。
しかも、それを自分でも知っています。
そして知りながら、昔は本物だった、と言う。証拠はどこにもありません。
おかしいのは、本物の海亀であれば、スープになるだけだった、ということです。にせものになったから、こうして岩の上に座って、学校の話をしていられます。
にせものとして生き残った、という言い方もできます。
ずいぶん悲しい生きものに見えて、じつはこの章、二人はほとんど笑っています。
グリフォンは、あいつの思いこみだ、と言って取り合いません。にせ海亀は、悲しみに酔いながら、上機嫌で歌います。二人は、アリスの前でずいぶん張り切って踊ってみせます。
悲しみを語ることが、この二人の娯楽になっている。
むかしは本物だった、という話は、それを語っているあいだ、たしかに本物だからです。
そのとき、遠くのほうから声がしました。
裁判が、はじまるぞ。
グリフォンはアリスの手を取って、歌の途中で、走りだします。
何の裁判ですか、と息を切らしながら尋ねても、答えはありません。ただ、こう言うだけです。
来い。
後ろのほうで、にせ海亀の歌声が、だんだん小さくなっていきました。
- 外側
- 代用品として作られたもの
- 内側
- 失ったものを語りつづける
むかしは本物だった、と言えるあいだは、本物である