海の底の学校

『不思議の国のアリス』を、夢の側から読んでいきます。ユング心理学と、神話と、カバラを少し。

自分がにせものだと知っている生きものが、泣きながら昔の学校の話をする、という話です。

王妃が、アリスをある生きものに会わせようと言います。にせ海亀。にせ海亀スープの、材料になるものだ、と王妃は言います。

案内役として、グリフォンが呼ばれました。日なたで昼寝をしていた、鷲の頭と獅子の体を持つ獣です。

昼寝をするグリフォン(ジョン・テニエル)
John Tenniel, 1865

連れていかれた先の岩の上に、その生きものは座っていました。

にせ海亀とグリフォンとアリス(ジョン・テニエル)
John Tenniel, 1865

亀の甲羅に、仔牛の頭。仔牛の蹄と、仔牛の尾。

にせ海亀スープというのは、当時のイギリスでよく食べられていた料理です。本物の海亀は高価なので、かわりに仔牛の頭を煮て、それらしい味に仕立てる。この生きものは、その代用品が、そのまま姿を持ったものです。

そして、深いため息をついて、泣いています。


アリスが、どうしてそんなに悲しいのか、と尋ねると、グリフォンが答えます。

あれは、そういう思いこみをしているだけだ。悲しいことなんて、何もありゃしない。

それでも、にせ海亀は泣きつづけます。

そして、涙をこらえながら、こう切り出すのです。

むかしは、わたしも本物の海亀だった。

本当かどうかは、誰にも分かりません。ただ、この生きものは、そう思っています。かつては本物で、いまはにせものだ、と。


そして、昔の学校の話になります。

海の底の学校です。先生は、年老いた海亀でした。ほんとうは陸亀なのですが、みんな先生と呼んでいました。

どうして陸亀を先生と呼ぶのですか、とアリスが訊くと、にせ海亀は腹を立てます。

We called him Tortoise because he taught us. わたしたちを教えて(taught us)くれたから、陸亀(Tortoise)と呼んだのだ。

そんな簡単なことも訊くなんて、と言われます。


その学校で習った科目を、にせ海亀は挙げていきます。

まず、いちばん基本のふたつ。

Reeling and Writhing よろめきと、身もだえ

本来なら、読み書き(Reading and Writing)です。

それから、算術の四つ。

Ambition, Distraction, Uglification, and Derision 野心、放心、醜化、そして嘲笑

本来なら、足し算、引き算、掛け算、割り算(Addition, Subtraction, Multiplication, Division)です。

四つとも、音がすべっただけで、悪い言葉に変わっています。

さらに、歴史のかわりに謎の歴史。地理のかわりに、のたくり地理。図画のかわりに、ものうげな絵。

古典の先生は、老いた蟹で、教えていたのは笑いと悲しみ。ラテン語とギリシャ語(Laughing and Grief/Latin and Greek)のことです。


そして、授業の時間の話になります。

一日目は十時間、二日目は九時間、三日目は八時間、というふうに、一日ずつ減っていく。

変な決まりですね、とアリスが言うと、グリフォンが答えます。

That’s the reason they’re called lessons, because they lessen from day to day. だから授業(lessons)と呼ぶのさ。日ごとに減っていく(lessen)から。

アリスは、そこから計算します。

では、十一日目は休みになるはずです。そして、十二日目には──

ずいぶん妙な計算だ、とグリフォンが話を打ち切ります。

MEMO

この学校の科目名は、どれも、正しい語からほんの少しだけ音がずれています。作者は数学と論理学を教えていた人で、教室の言葉には、ひととおり付き合わされていたはずです。


この生きものは、ずっと過去の話しかしません。

むかしは本物だった。むかしは学校へ通っていた。むかしは海老と踊っていた。

そして、そのすべてを、泣きながら話します。

海老のダンスを踊るにせ海亀とグリフォン(ジョン・テニエル)
John Tenniel, 1865

海老のダンスというのを、二人は実際に踊ってみせます。海老を相手に、砂浜で、順番に前へ出て、投げて、また戻る。

アリスは、たいそう妙な踊りだと思いながら、じっと見ています。

そのあいだ、にせ海亀は歌いつづけ、ときどき声を詰まらせます。


にせもの、というのは、ずいぶん重たい名前です。

この生きものは、それを名前として与えられています。にせ海亀。誰かが本物を作れなかったので、かわりに作られたもの。そう呼ばれて、そう扱われている。

しかも、それを自分でも知っています。

そして知りながら、昔は本物だった、と言う。証拠はどこにもありません。

おかしいのは、本物の海亀であれば、スープになるだけだった、ということです。にせものになったから、こうして岩の上に座って、学校の話をしていられます。

にせものとして生き残った、という言い方もできます。


ずいぶん悲しい生きものに見えて、じつはこの章、二人はほとんど笑っています。

グリフォンは、あいつの思いこみだ、と言って取り合いません。にせ海亀は、悲しみに酔いながら、上機嫌で歌います。二人は、アリスの前でずいぶん張り切って踊ってみせます。

悲しみを語ることが、この二人の娯楽になっている。

むかしは本物だった、という話は、それを語っているあいだ、たしかに本物だからです。

鏡の前の海老(ジョン・テニエル)
John Tenniel, 1865

そのとき、遠くのほうから声がしました。

裁判が、はじまるぞ。

グリフォンはアリスの手を取って、歌の途中で、走りだします。

何の裁判ですか、と息を切らしながら尋ねても、答えはありません。ただ、こう言うだけです。

来い。

後ろのほうで、にせ海亀の歌声が、だんだん小さくなっていきました。

外側
代用品として作られたもの
内側
失ったものを語りつづける

むかしは本物だった、と言えるあいだは、本物である

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