時間と喧嘩をしたせいで、それきり六時から先へ進めなくなった人たちの話です。
三月うさぎの家の前に、大きな卓が出ていました。大勢ぶんの支度がしてあるのに、三人が片隅にかたまって座っています。三月うさぎと、帽子屋と、そのあいだで眠りこけている眠りねずみ。
アリスが近づくと、三人は口をそろえて叫びます。
席がない、席がない。
卓は、がらがらでした。
アリスは、いくらでも空いています、と言って、いちばん端の大きな肘掛け椅子に座ります。すると三月うさぎが、葡萄酒はいかが、とすすめてきます。
卓を見まわしても、紅茶しかありません。葡萄酒などどこにも見あたりません、とアリスは言います。
三月うさぎは答えます。ないんだよ。
それなら、すすめるのは失礼です、とアリスが言うと、今度は帽子屋が口を出します。招かれてもいないのに座るのも失礼だね、と。
会話は、最初から最後まで、この調子です。
そのうち帽子屋が、なぞなぞを出します。
なぜ、カラスは書き物机に似ているか。
アリスは少し考えて、当ててみます、と言います。ここから、いかにもこの物語らしいやりとりが始まります。
ALICE
「つまり、答えがわかると思う、ということかね」と三月うさぎが言いました。
「そのとおりです」とアリスは言いました。
「だったら、思ったとおりに言いたまえ」と三月うさぎは続けました。
「言っています」とアリスは急いで答えました。「少なくとも──言ったとおりに思っています。同じことですけれど」
「同じなものか」と帽子屋が言いました。「それなら、こう言ってもいいことになる。食べるものが見えると、見えるものを食べるは、同じだ、とね」
「それなら、こうも言えるぞ」と三月うさぎ。「もらったものが好きと、好きなものをもらうは同じだ」
「それなら、こうも言えるさ」と眠りねずみが寝言のように言いました。「眠るときに息をすると、息をするときに眠るは同じだ」
「おまえの場合は、たしかに同じだな」と帽子屋は言いました。そこで話は途切れました。
もらったものを好きになる人と、好きなものだけをもらう人とでは、生き方がずいぶん違います。息をするときに眠ってしまう者は、眠りねずみだけです。
MEMO
作者は論理学を教えていた人です。逆にしても成り立つとはかぎらない、というのは、教室でくりかえし説いていたことでした。
それを、狂ったお茶会でやっている。
ところで、なぞなぞの答えはどうなったのでしょうか。
アリスは考えます。そして降参して、答えを教えてください、と言います。
帽子屋は答えます。まったく見当もつかない。
三月うさぎも同じです。答えを知らないまま、なぞなぞを出していました。
アリスは、そんなことに時間を無駄にするくらいなら、もっとましな使い道があるでしょう、とあきれます。
すると帽子屋は言うのです。時間というものを、おまえほどよく知っていたら、そんなふうには言えまい、と。
この人たちは、時間を、ものではなく、人として扱っています。
仲良くしていれば、時計に頼みごとができる。朝の九時、授業が始まる時刻に、ひとこと囁くだけでいい。時計はぐるりとまわって、あっという間に一時半、昼食の時刻になる。
けれど、帽子屋はもうそれができません。
去年の三月、王妃の音楽会で歌を歌ったとき、王妃が叫んだのです。この男は時間を殺している、と。
それ以来、時間は、帽子屋の頼みを何ひとつ聞いてくれなくなりました。
そして、いまはずっと六時のままです。
六時は、お茶の時刻です。
だから、この庭では永遠にお茶の時間で、卓の上には次から次へと茶器が出しっぱなしになっています。片づける暇がありません。時間が進まないので、洗い物をする「あいだ」というものが、そもそも来ないのです。
ではどうしているのか。アリスが尋ねると、帽子屋はこう答えます。
ずれていくのさ。
汚れた席を離れて、隣のきれいな席へ移る。また汚れたら、また隣へ。三人はぐるぐると卓をまわりつづけています。
では、ひとまわりして最初の席に戻ってきたら、どうするのですか。
アリスがそう訊いたとたん、帽子屋は話題を変えてしまいます。
この庭では、何ひとつ新しくなりません。
三人は、じっとしているわけではないのです。むしろ、休みなく動いています。喋りつづけ、席を移りつづけ、なぞなぞを出しつづけている。
それでも、進んでいない。
洗われない茶碗が増えていくだけで、卓はいつまでも同じ卓のままです。
時間と喧嘩をしてしまうと、こうなるのだと思います。
待てば変わる、ということが、なくなる。しばらく置いておけば落ち着くとか、そのうち忘れるとか、来年になれば違って見えるとか、そういうものが全部、使えなくなる。
ほんとうにあるのは、いまこの瞬間だけです。過去は記憶で、未来はまだどこにもありません。そう言われれば、そうだろうと思います。
それでも、私たちは時間という幻に、ずいぶん助けられています。
いまが苦しくても、時間があると思えば、いまのままではないと思える。過ぎたことも、時間があると思えば、遠ざけることができる。時間という幻は、いまと、いまでないものとのあいだに、隙間を作ってくれます。
この庭の三人は、その隙間を失いました。
時が味方でない人は、同じところをまわるしかありません。
MEMO
日本の浦島太郎は、竜宮から帰ってきたら何百年も経っていました。アイルランドの古い話にも、妖精の丘で一晩だけ踊って戻ったら、知る人が誰もいなくなっていた、というものがあります。あちらは、外の時間が進みすぎてしまう話です。
眠りねずみが、話をはじめます。
むかし三人姉妹がいて、井戸の底に住んでいた、という話です。糖蜜の井戸です。
その井戸の底で、姉妹は絵を習っていた、と眠りねずみは言います。何を描いていたのか、とアリスが訊くと、Mではじまるものを何でも、という答えが返ってきます。
ねずみ捕り。月。記憶。たくさんということ。
そのうち、眠りねずみはまた眠りこんでしまいます。
アリスは、お茶をもう少しいかが、とすすめられます。まだ一杯もいただいていないので、もう少しというわけには、と答えると、帽子屋が言います。
それなら、もっと少なくは飲めまい。何もないより多く飲むのは、たやすいことだ。
アリスは、とうとう腹を立てて、立ち上がります。
誰も引き止めませんでした。二人は、眠りねずみをティーポットに押しこもうとしているところでした。
森を歩きだしたアリスは、幹に扉のついた木を見つけます。
入ってみると、そこは、あの長い広間でした。天井からランプが吊り下がり、まわりに扉が並んでいる、いちばん最初の場所です。
けれど、今度の彼女はちがいました。
まず、ガラスの卓から小さな金の鍵を取ります。それから、きのこをかじって、三十センチほどの背丈になります。
そして、小さな扉を開けて、庭へ入っていきました。
- 外側
- 止まった時間、空転する論理
- 内側
- 動いているのに、更新されない
時と喧嘩した者には、待つという手が残らない