胡椒と赤ん坊

『不思議の国のアリス』を、夢の側から読んでいきます。ユング心理学と、神話と、カバラを少し。

泣きやまない赤ん坊を助け出したら、腕のなかで豚になった、という話です。

森を歩いていたアリスは、小さな家の前で、奇妙なものを見かけます。魚の顔をした従僕が、蛙の顔をした従僕に、大きな封筒を渡しているところでした。王妃から公爵夫人への、クロッケーの招待状だそうです。

魚の従僕と蛙の従僕(ジョン・テニエル)
John Tenniel, 1865

アリスが、なかへ入りたいのだけれど、と声をかけると、蛙の従僕はまじめな顔で言います。そもそも、あなたが入ることになっているのかどうか。それが最初の問題です、と。

話が進みそうにないので、アリスは自分で扉を開けました。

公爵夫人の台所(ジョン・テニエル)
John Tenniel, 1865

ALICE

扉はまっすぐ大きな台所に通じていて、なかは煙でいっぱいでした。公爵夫人は真ん中の三本脚の腰かけに座って、赤ん坊をあやしています。料理女は火にかがみこんで、大鍋をかきまわしていました。

スープに胡椒が入りすぎているにちがいない、とアリスは思いました。

じっさい、空気じゅうが胡椒でした。公爵夫人でさえ、ときどきくしゃみをします。赤ん坊のほうは、泣くかくしゃみをするか、どちらかを絶え間なく続けていました。

台所でくしゃみをしていないのは、料理女と、炉端に寝そべった大きな猫だけです。その猫は、耳から耳まで届くほど、にやにや笑っていました。

「あの、教えていただけますか」とアリスは、いくらか遠慮がちに言いました。「どうして、おたくの猫はあんなふうに笑っているのですか」

公爵夫人の答えは、こうです。

“It’s a Cheshire cat, and that’s why.” 「チェシャ猫だからさ。それだけのことだよ」

説明になっていません。それでも、こう言われると、なぜか納得しそうになります。

MEMO

チェシャは、イングランド北西部の州の名前です。にやにや笑うチェシャ猫、という言い回しは、キャロルの発明ではなく、当時すでにあった言い方でした。由来は諸説あって、はっきりしません。

この猫のことは、次の話で書きます。ここでは、笑ったまま、隅に寝そべらせておきます。


この台所は、ひどい部屋です。

料理女は、鍋をかきまわしながら、手当たりしだいに物を投げはじめます。火かき棒、鍋、皿。公爵夫人と赤ん坊のほうへ、次々と飛んでいく。

公爵夫人は、まったく気にしません。当たっても知らん顔で、赤ん坊を乱暴に揺すりつづけます。そして、こんな子守唄を歌います。

坊やには手荒に口をきき、くしゃみをしたら叩いておやり。あの子はわざとやっているのだ、こちらが困ると知っているから。

くしゃみが止まらないのは、胡椒のせいです。

誰の目にも見えています。アリスにさえ、入ったとたんに分かりました。それでも、この部屋の誰ひとり、胡椒を減らそうとしません。

かわりに公爵夫人は、赤ん坊が自分を困らせるためにやっていると考えています。

空気が濁っている部屋では、たいてい、こういうことが起きます。全員が苛立っていて、原因はそこらじゅうに漂っているのに、誰もそれを見ません。かわりに、目の前の誰かのせいにする。

そして、原因を減らすかわりに、声を荒らげる。

あの台所に必要だったのは、しつけでも我慢でもなく、換気と、塩と、たぶん、全員がいちど外に出ることでした。


公爵夫人は、クロッケーの支度をしなければならないと言って、赤ん坊をアリスに投げつけて、出ていってしまいます。

投げられた赤ん坊を、アリスは受けとめます。妙なかたちの子で、腕も脚もあらゆる方向に突き出していました。

そして彼女は、その子を抱いて、外へ出ます。

連れて出なければ、この子はきっと死んでしまう、とアリスは思います。置いていくのは人殺しみたいなものだ、と。

赤ん坊を抱いて森へ出るアリス(ジョン・テニエル)
John Tenniel, 1865

外の空気に出たとたん、赤ん坊は泣きやみます。

そのかわりに、ぶうぶうと鼻を鳴らしはじめました。

アリスは顔をのぞきこみます。鼻が上を向いていて、どう見ても、人の鼻というより、豚の鼻でした。目も、赤ん坊にしては小さすぎる。

それでも彼女は、しばらく歩きつづけます。泣いているのだと思って、あやしながら。

そして、もう間違えようがないところまで来たとき、アリスは立ち止まりました。

MEMO

取り替え子、という古い言い伝えが、北ヨーロッパのあちこちにあります。妖精が本物の子どもを連れ去って、かわりに自分たちの子を置いていく、というものです。見分け方のひとつは、外へ連れ出すことでした。家の中では分からないものが、戸口を出たとたんに現れる、と。


ここが、この物語のなかで、ちょっと特別な場面だと思います。

アリスは、慌てません。悲鳴もあげません。腕のなかのものが豚だと分かると、静かに地面に降ろします。

豚はとことこと森のなかへ歩いていって、見えなくなります。

そして彼女は、こう思うのです。あのまま人の子として育っていたら、ひどく醜い子になっただろう。でも、豚としては、なかなか立派なほうだ、と。

惜しんでいません。腹も立てていません。連れ出したことを後悔してもいない。

あの煙だらけの部屋にいたままなら、この子は泣きつづける赤ん坊のままでした。外へ出て、はじめて、それが何だったのかが分かった。

そして分かったところで、アリスは手を放します。降ろすところまでが、連れ出すということでした。

この長い一日で、彼女が自分から何かを手放すのは、たぶんここだけです。


豚を見送って、アリスがふと顔を上げると、数ヤード先の木の枝に、あの猫が座っていました。

耳から耳まで、にやにや笑って。

外側
濁った場では、すべてが濁って見える
内側
苛立ちの出どころを、取り違える

煙の外へ出るまで、それが何なのかは分からない

つぎの話