ALICE
「片方を食べれば背が伸び、もう片方を食べれば背が縮む」と芋虫は言いました。
何の片方だろう、何のもう片方だろう、とアリスは心のなかで思いました。
「きのこの」と芋虫は言いました。まるで、アリスが声に出して尋ねたかのように。そして次の瞬間には、もう姿が見えなくなっていました。
アリスはしばらく、きのこを見つめて考えこみました。どこが両側なのかを見きわめようとしたのです。けれど、それは完全に丸かったので、たいそう難しい問いでした。
とうとうアリスは、両腕を精いっぱいきのこにまわして、右手と左手で、縁をひとかけらずつ欠き取りました。
「さあ、どっちがどっちかしら」
右手のほうを、ほんの少しかじってみます。すると、あごが足にぶつかりました。
あんまり急に変わったので、アリスはすっかりおびえました。けれど、こうして縮みつづけては大変です。急いでもう片方を食べようとしましたが、あごが足に押しつけられていて、口を開けることさえできません。それでもどうにか、左手のかけらを少しだけ飲みこみました。
今度は、首がぐんぐん伸びていきました。見おろすと、はるか下に肩があり、そのあいだの長い首だけが、緑の海のような木々の上に、蛇のように突き出ているのでした。
声に出していない問い
この場面は、小さな不思議から始まります。
芋虫が「片方を食べれば」と言い残したとき、アリスは声を出していません。何の片方だろう、と心のなかで思っただけです。
それなのに芋虫は、きのこの、と答えます。
そして、そのまま消えてしまう。
助言を求められたわけでもなく、頼まれたわけでもありません。訊かれる前に答えて、去っていく。
思い返せば、彼が最初にしたことも、これでした。名乗る前に、おまえは誰だ、と訊いた。
この芋虫は、ずっと、言葉になっていないところで話しています。
丸いものに、両側はあるか
そして、ここからが難問です。
アリスはきのこを見つめて、どこが両側なのかを探します。ところが、きのこは完全に丸い。
丸いものには、こちら側とあちら側の区別がありません。どこを取っても同じです。右も左も、はじめから存在しない。
芋虫は、存在しないものを二つ食べろ、と言い残していったことになります。
MEMO
作者は数学を教えていた人です。完全な円に側はない、という困りかたは、正確に書かれています。
アリスがどうしたか。
彼女は、探すのをやめます。かわりに、両腕を精いっぱいきのこにまわして、抱えます。そして、右手と左手で、ひとかけらずつ欠き取る。
両側は、見つかったのではありません。
彼女が腕をまわした、その瞬間に、できました。
丸いものに右と左を与えたのは、きのこの性質ではなく、それを抱えた体のほうです。抱えた者がいるところに、はじめて両側ができる。
二本の柱
カバラの生命の樹は、三本の柱で立っています。
与える
包む
区切る
かたちを与える
どちらも欠かせません。ひろがる力だけなら、世界はかたちを持てずに散ってしまう。締める力だけなら、何ひとつ育たない。
そして真ん中に、三本目の柱があります。
ここが、この図のいちばん難しいところです。真ん中の柱は、右と左のあいだにある道ですが、右と左を足して二で割ったものではありません。
両方を、手に持っている者のことです。
きのこを抱えたアリスの姿を、そのまま重ねてみてください。右手に伸びるかけら、左手に縮むかけら、そのあいだに彼女がいます。
柱は、樹に立っているのではありません。両方を持った者の、左右に立ちます。
どっちがどっち
けれど、話はそう都合よく進みません。
両側を作ったのはいいのですが、どちらが伸びる側で、どちらが縮む側なのかは、わかりません。かけらには何も書いてない。
ここが正直なところだと思います。
ひろげる力と、締める力を、両方その手に持ったとしても、どちらをいま使うべきかは、持っただけではわかりません。
アリスは、右手のほうを少しかじります。あごが足にぶつかります。あわてて左手を食べようとしても、あごと足がくっついていて、口が開かない。
行きすぎて、戻ろうとして、戻る手段のほうが使えなくなっている。
片方に寄りすぎると、もう片方に手が届かなくなる。この物語が何度もくりかえしてきたことが、いちばん小さな寸法で起きています。
そして、蛇のような首
どうにか左手のかけらを飲みこむと、今度は首だけが伸びます。
肩ははるか下、首は木々の上へ。緑の海のような梢の上に、細い首がにゅっと出ている。
ここまで、彼女は全体で大きくなったり小さくなったりしてきました。今度は、一部分だけが伸びています。
頭だけが、体を置き去りにして、ずっと高いところへ行ってしまう。
広間の扉の前で、アリスはこう言っていました。頭が通ったところで、肩がついてこないのでは、たいして役に立たない、と。
そのとおりのことが、いま起きています。
そのうち、できるようになる
最後に、この章のいちばん静かな進歩を書いておきます。
このあとアリスは、両手のかけらを、少しずつ、かわるがわるかじるようになります。
伸びすぎたら、少し縮める。縮みすぎたら、少し伸ばす。そうやって、自分をもとの背丈まで戻すことを覚えます。
広間では、飲めば縮み、食べれば伸びるのを、ただ受けているだけでした。兎の家では、ラベルのない瓶をあおって、天井にぶつかりました。
ここではじめて、彼女は自分で寸法を決めています。
翻弄される側から、使いこなす側へ。二つのかけらを両手に持ったまま、少しずつ噛みわけて、真ん中を探す。
正しい大きさは、どこかに用意されているものではありませんでした。行きすぎと戻りすぎを、何度も往復した末に、残る場所のことでした。
- 外側
- 二本の柱
- 内側
- 対立するものを両方持つ
抱えてはじめて、両側ができる