ALICE
大きなきのこが生えていて、その上に、青い芋虫が座っていました。腕を組んで、水ぎせるを静かに吸っています。アリスにも、ほかの何にも、まるで注意を払っていません。
しばらくして、芋虫は口からきせるを離し、眠たげな声で言いました。
「おまえは誰だ」
話のはじめ方として、これは気持ちのよいものではありません。アリスは、いくらか気おくれしながら答えました。
「わたし──わたし、いまはよくわからないんです。けさ起きたときのわたしなら、わかっていたんですけれど、それからもう何度も、変わってしまったみたいで」
「どういう意味だ」と芋虫は厳しく言いました。「はっきり説明してみろ」
「自分のことは説明できないんです」とアリスは言いました。「だって、わたしはわたしではないんですもの」
「わからんな」と芋虫は言いました。
「うまく言えなくて、ごめんなさい」とアリスは丁寧に答えました。「わたしにも、わからないんです。一日のうちにこんなに何度も大きさが変わったら、誰だって、わけがわからなくなります」
「ならん」と芋虫は言いました。
「あなたはまだそうなっていないだけです」とアリスは言いました。「でもいつか、さなぎにならなければいけなくなって、それから蝶になるとき、少しはへんな気持ちになると思いませんか」
「これっぽっちも」と芋虫は言いました。
この世でいちばん短い質問
芋虫は、ほとんど何も教えません。
助言も、行き先も、この世界の仕組みも、いっさい説明しない。彼がすることは、たったひとつです。
三語です。それだけで、アリスは立ち往生します。
名前を言えばいいはずでした。アリスです、と。実際、彼女はここまで、何度も自分の名前を思い出しています。
それなのに、答えられない。
この一日で、彼女は九フィートになり、十インチになり、自分の涙で溺れかけ、別の名前で呼ばれて走り、家より大きくなりました。名前は変わっていないのに、それが誰を指しているのかが、わからなくなっている。
けさ起きたときのわたしなら
アリスの答えは、正直で、しかも正確です。
いまはわからない。けれど、けさ起きたときのわたしなら、わかっていた。
自分が誰かということは、ふだん、思い出す必要のないことです。朝、目が覚めたときには、もうそこにある。昨日の続きとして、当たり前に立ち上がってくる。
それが崩れるのは、変わってしまったあとです。
大きな出来事があったあと、しばらくのあいだ、人は自分の名前をうまく持てなくなります。呼ばれれば返事はできる。書類にも書ける。それでも、その名前と自分のあいだに、少し隙間がある。
答えられないのは、失敗ではありません。答えを持っていた自分のほうが、もう剥がれているだけです。
わたしはわたしではない
説明しろと言われて、アリスはこう答えます。
言葉としては、めちゃくちゃです。わたしではないものが、わたしと名乗って喋っている。
けれど、これを言えるのは、それを言っている誰かがいるからです。
剥がれていくものを見ている何かが、残っている。そうでなければ、剥がれたことに気づけません。
古い書物に、名前を尋ねられた者が、名前ではないもので答える場面があります。わたしは、在るものである、と。名指されることを断りながら、いる、ということだけを差し出す。
アリスの答えは、そこまで立派ではありません。ただ、かたちだけは、少し似ています。
これから変わる者が、平気だと言う
この場面でいちばん妙なのは、芋虫の返事です。
アリスは、あなたもいつか、さなぎになって、蝶になるでしょう、と言います。そのとき少しはへんな気持ちになるでしょう、と。
芋虫は答えます。これっぽっちも、と。
この物語のなかで、姿がまるごと変わることが決まっているのは、彼だけです。アリスの伸び縮みは一時のことですが、彼のほうは、体を溶かして、別のものになる。
その彼が、平気だと言う。
本当に変わる者は、変わることを大ごとだと思っていない。大ごとにしているのは、まだ変わっていない者のほうです。
そして、これを言っているのが、きのこの上で煙をくゆらせながら、腕を組んでいる相手だというのが、なかなかのところです。彼は焦っていません。時が来れば、そうなると知っている。
暗唱が、別のものになる
芋虫は、詩を暗唱してみろ、と言います。
アリスは手を組んで、教わったとおりに唱えはじめます。ところが、口から出てくる言葉は、覚えていたはずのものと違っています。
MEMO
アリスが唱えるはずだったのは、当時のイギリスの子どもがみな暗記させられていた詩です。ロバート・サウジーという詩人の、「老人の慰めと、それをどうやって得たか」という題の教訓詩でした。
もとの詩では、若者が、年老いた父ウィリアムに尋ねます。
父は、こう答えます。
若いうちに節制せよ、という詩です。
そして、アリスの口から出てきたのが、これでした。
最初の一行が、そっくり同じであることに気づかれたと思います。
そこから先が、全部ずれていきます。節制の話が、逆立ちの話になっている。若いころ気をつけたからいま健やかだ、という筋が、若いころは心配したがいまは中身がないと確信したから平気だ、に変わっている。
そして、老人はまだ止まりません。
ずいぶん太ったのに、なぜ後ろ宙返りで戸口をくぐれるのか、と若者は尋ねます。
健康の秘訣を訊かれて、薬を売りつけています。
あごが弱っているはずなのに、なぜ骨もくちばしもあるガチョウを平らげられるのか。
そして四つ目。その年で、どうしてうなぎを鼻の先で立てられるほど器用なのか。
ここで、父ウィリアムは切れます。
三つ答えたから十分だ、と言っていますが、実際には三つでは足りていません。教訓詩の老人が、数をごまかしたうえに、脅している。
キャロルがしたのは、ただの悪ふざけではありません。
骨組みだけを、そっくり残しています。行の数も、韻の踏み方も、拍の運びも、律儀にもとの詩のとおりです。器はそのままで、中身だけが入れ替わっている。
子どもたちは、意味をよく考えないまま、こういう詩を暗唱させられていました。形だけを覚えて、口が勝手に動くようになるまで。
だからこそ、形を残したまま中身を抜くことができる。もとの詩をよく知っている子どもほど、この替え歌に笑ったはずです。
そして、ここがいちばん大事なところですが──アリスは、ふざけたつもりがありません。
彼女は手を組んで、教わったとおりに、まじめに唱えました。出てきたものが、違っていただけです。
芋虫は言います。はじめから終わりまで、まちがっている、と。
覚えたものが、そのまま出てこない。教わった言葉のほうが、先に崩れている。
三インチ
最後に、芋虫が尋ねます。どのくらいの大きさになりたいのか、と。
アリスは、大きさにはこだわらないけれど、そう何度も変わるのは嫌です、と答えます。そして、もう少し大きくなりたい、三インチというのはみじめな高さです、と言ってしまう。
芋虫は、身を起こして怒ります。彼の背丈が、ちょうど三インチだったからです。
自分にとってみじめな寸法が、誰かにとっては、ちょうどよい寸法でした。
正しい大きさというものが、どこかに決まってあるわけではない。この物語がずっと問うている寸法の話に、ここで小さな棘が刺さります。
そして芋虫は、去りぎわに、これだけを残していきます。
何のどちら側なのかは、言いません。這っていく彼を見ながら、アリスはきのこを見上げます。
そもそも、名前は、外から来たものです。
生まれたときに誰かがつけて、呼ばれつづけて、応じつづけて、そのうち自分だと思うようになった。自分で選んだ人は、ほとんどいません。
だからでしょうか。深く入る場所では、たいてい、名前が外されます。
出家すれば名が変わります。入門すれば別の名を授かります。ほんとうの名は隠しておくもので、知られると力が及ぶ、という考え方は、世界のあちこちにあります。
名前は、掛け金のようなものだからです。その名で呼ばれているかぎり、人はその名の役から出られません。
- 外側
- 正しい寸法を問われる
- 内側
- 同一化していたものを剥がされる
けさ起きたときのわたしなら、答えられた