あなたは誰?

『不思議の国のアリス』を、夢の側から読んでいきます。ユング心理学と、神話と、カバラを少し。

きのこの上の芋虫とアリス(ジョン・テニエル)
John Tenniel, 1865

ALICE

大きなきのこが生えていて、その上に、青い芋虫が座っていました。腕を組んで、水ぎせるを静かに吸っています。アリスにも、ほかの何にも、まるで注意を払っていません。

しばらくして、芋虫は口からきせるを離し、眠たげな声で言いました。

「おまえは誰だ」

話のはじめ方として、これは気持ちのよいものではありません。アリスは、いくらか気おくれしながら答えました。

「わたし──わたし、いまはよくわからないんです。けさ起きたときのわたしなら、わかっていたんですけれど、それからもう何度も、変わってしまったみたいで」

「どういう意味だ」と芋虫は厳しく言いました。「はっきり説明してみろ」

「自分のことは説明できないんです」とアリスは言いました。「だって、わたしはわたしではないんですもの」

「わからんな」と芋虫は言いました。

「うまく言えなくて、ごめんなさい」とアリスは丁寧に答えました。「わたしにも、わからないんです。一日のうちにこんなに何度も大きさが変わったら、誰だって、わけがわからなくなります」

「ならん」と芋虫は言いました。

「あなたはまだそうなっていないだけです」とアリスは言いました。「でもいつか、さなぎにならなければいけなくなって、それから蝶になるとき、少しはへんな気持ちになると思いませんか」

「これっぽっちも」と芋虫は言いました。

この世でいちばん短い質問

芋虫は、ほとんど何も教えません。

助言も、行き先も、この世界の仕組みも、いっさい説明しない。彼がすることは、たったひとつです。

Who are you? おまえは誰だ。

三語です。それだけで、アリスは立ち往生します。

名前を言えばいいはずでした。アリスです、と。実際、彼女はここまで、何度も自分の名前を思い出しています。

それなのに、答えられない。

この一日で、彼女は九フィートになり、十インチになり、自分の涙で溺れかけ、別の名前で呼ばれて走り、家より大きくなりました。名前は変わっていないのに、それが誰を指しているのかが、わからなくなっている。


けさ起きたときのわたしなら

アリスの答えは、正直で、しかも正確です。

いまはわからない。けれど、けさ起きたときのわたしなら、わかっていた。

自分が誰かということは、ふだん、思い出す必要のないことです。朝、目が覚めたときには、もうそこにある。昨日の続きとして、当たり前に立ち上がってくる。

それが崩れるのは、変わってしまったあとです。

大きな出来事があったあと、しばらくのあいだ、人は自分の名前をうまく持てなくなります。呼ばれれば返事はできる。書類にも書ける。それでも、その名前と自分のあいだに、少し隙間がある。

答えられないのは、失敗ではありません。答えを持っていた自分のほうが、もう剥がれているだけです。


わたしはわたしではない

説明しろと言われて、アリスはこう答えます。

I can’t explain myself, I’m afraid, sir, because I’m not myself, you see. 自分のことは説明できません。だって、わたしはわたしではないんですもの。

言葉としては、めちゃくちゃです。わたしではないものが、わたしと名乗って喋っている。

けれど、これを言えるのは、それを言っている誰かがいるからです。

剥がれていくものを見ている何かが、残っている。そうでなければ、剥がれたことに気づけません。

古い書物に、名前を尋ねられた者が、名前ではないもので答える場面があります。わたしは、在るものである、と。名指されることを断りながら、いる、ということだけを差し出す。

アリスの答えは、そこまで立派ではありません。ただ、かたちだけは、少し似ています。


これから変わる者が、平気だと言う

この場面でいちばん妙なのは、芋虫の返事です。

アリスは、あなたもいつか、さなぎになって、蝶になるでしょう、と言います。そのとき少しはへんな気持ちになるでしょう、と。

芋虫は答えます。これっぽっちも、と。

この物語のなかで、姿がまるごと変わることが決まっているのは、彼だけです。アリスの伸び縮みは一時のことですが、彼のほうは、体を溶かして、別のものになる。

その彼が、平気だと言う。

本当に変わる者は、変わることを大ごとだと思っていない。大ごとにしているのは、まだ変わっていない者のほうです。

そして、これを言っているのが、きのこの上で煙をくゆらせながら、腕を組んでいる相手だというのが、なかなかのところです。彼は焦っていません。時が来れば、そうなると知っている。


暗唱が、別のものになる

芋虫は、詩を暗唱してみろ、と言います。

アリスは手を組んで、教わったとおりに唱えはじめます。ところが、口から出てくる言葉は、覚えていたはずのものと違っています。

MEMO

アリスが唱えるはずだったのは、当時のイギリスの子どもがみな暗記させられていた詩です。ロバート・サウジーという詩人の、「老人の慰めと、それをどうやって得たか」という題の教訓詩でした。

もとの詩では、若者が、年老いた父ウィリアムに尋ねます。

“You are old, Father William,” the young man cried, “The few locks which are left you are grey; You are hale, Father William, a hearty old man, Now tell me the reason, I pray.” 父ウィリアム、あなたはお年を召された。残った髪も白くなった。それなのに、お達者でいらっしゃる。どうか、その理由を教えてください。

父は、こう答えます。

“In the days of my youth,” Father William replied, “I remember’d that youth would fly fast, And abused not my health and my vigour at first, That I never might need them at last.” 若いころ、わたしは若さがすぐ過ぎ去ることを忘れなかった。だから健康も気力も、はじめに使いつぶさなかった。終わりに困らないように。

若いうちに節制せよ、という詩です。


そして、アリスの口から出てきたのが、これでした。

“You are old, Father William,” the young man said, “And your hair has become very white; And yet you incessantly stand on your head— Do you think, at your age, it is right?” 父ウィリアム、あなたはお年を召された。髪もすっかり白くなった。それなのに、しょっちゅう逆立ちをしている。そのお年で、どうかと思いますが。
“In my youth,” Father William replied to his son, “I feared it might injure the brain; But, now that I’m perfectly sure I have none, Why, I do it again and again.” 若いころは、脳を痛めるかと心配したものだ。だがいまは、脳などないと確信しているのでね。だから、何度でもやるのだよ。
逆立ちする父ウィリアム(ジョン・テニエル)
John Tenniel, 1865

最初の一行が、そっくり同じであることに気づかれたと思います。

そこから先が、全部ずれていきます。節制の話が、逆立ちの話になっている。若いころ気をつけたからいま健やかだ、という筋が、若いころは心配したがいまは中身がないと確信したから平気だ、に変わっている。

そして、老人はまだ止まりません。


ずいぶん太ったのに、なぜ後ろ宙返りで戸口をくぐれるのか、と若者は尋ねます。

“I kept all my limbs very supple By the use of this ointment—one shilling the box— Allow me to sell you a couple?” この軟膏で手足をやわらかく保ってきたのだ。ひと箱一シリング。二箱ほど、いかがかな。
宙返りで戸口をくぐる父ウィリアム(ジョン・テニエル)
John Tenniel, 1865

健康の秘訣を訊かれて、薬を売りつけています。


あごが弱っているはずなのに、なぜ骨もくちばしもあるガチョウを平らげられるのか。

“In my youth,” said his father, “I took to the law, And argued each case with my wife; And the muscular strength, which it gave to my jaw, Has lasted the rest of my life.” 若いころ法律を学んでな、一件ごとに妻と言い争ったのだ。そのときあごについた力が、一生もっているのだよ。
ガチョウを平らげる父ウィリアム(ジョン・テニエル)
John Tenniel, 1865

そして四つ目。その年で、どうしてうなぎを鼻の先で立てられるほど器用なのか。

うなぎを鼻の先で立てる父ウィリアム(ジョン・テニエル)
John Tenniel, 1865

ここで、父ウィリアムは切れます。

“I have answered three questions, and that is enough,” “Be off, or I’ll kick you down stairs!” 三つ答えた。それで十分だ。失せろ。さもないと階段から蹴り落とすぞ。

三つ答えたから十分だ、と言っていますが、実際には三つでは足りていません。教訓詩の老人が、数をごまかしたうえに、脅している。


キャロルがしたのは、ただの悪ふざけではありません。

骨組みだけを、そっくり残しています。行の数も、韻の踏み方も、拍の運びも、律儀にもとの詩のとおりです。器はそのままで、中身だけが入れ替わっている。

子どもたちは、意味をよく考えないまま、こういう詩を暗唱させられていました。形だけを覚えて、口が勝手に動くようになるまで。

だからこそ、形を残したまま中身を抜くことができる。もとの詩をよく知っている子どもほど、この替え歌に笑ったはずです。

そして、ここがいちばん大事なところですが──アリスは、ふざけたつもりがありません。

彼女は手を組んで、教わったとおりに、まじめに唱えました。出てきたものが、違っていただけです。

芋虫は言います。はじめから終わりまで、まちがっている、と。

覚えたものが、そのまま出てこない。教わった言葉のほうが、先に崩れている。


三インチ

最後に、芋虫が尋ねます。どのくらいの大きさになりたいのか、と。

アリスは、大きさにはこだわらないけれど、そう何度も変わるのは嫌です、と答えます。そして、もう少し大きくなりたい、三インチというのはみじめな高さです、と言ってしまう。

芋虫は、身を起こして怒ります。彼の背丈が、ちょうど三インチだったからです。

自分にとってみじめな寸法が、誰かにとっては、ちょうどよい寸法でした。

正しい大きさというものが、どこかに決まってあるわけではない。この物語がずっと問うている寸法の話に、ここで小さな棘が刺さります。

そして芋虫は、去りぎわに、これだけを残していきます。

One side will make you grow taller, and the other side will make you grow shorter. 片方を食べれば背が伸び、もう片方を食べれば背が縮む。

何のどちら側なのかは、言いません。這っていく彼を見ながら、アリスはきのこを見上げます。


そもそも、名前は、外から来たものです。

生まれたときに誰かがつけて、呼ばれつづけて、応じつづけて、そのうち自分だと思うようになった。自分で選んだ人は、ほとんどいません。

だからでしょうか。深く入る場所では、たいてい、名前が外されます。

出家すれば名が変わります。入門すれば別の名を授かります。ほんとうの名は隠しておくもので、知られると力が及ぶ、という考え方は、世界のあちこちにあります。

名前は、掛け金のようなものだからです。その名で呼ばれているかぎり、人はその名の役から出られません。

外側
正しい寸法を問われる
内側
同一化していたものを剥がされる

けさ起きたときのわたしなら、答えられた

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